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「マーケティングのすゝめ」 フィリップ・コトラー、高岡浩三著 中公新書ラクレ
どの時代にも問題や課題を抱える人はいる。だが、その問題や課題の質は、時の流れと共に移り変わる。問題や課題についての問いが変化するのであるから、答えとして提示される解決策の質も変わらざるを得ない。必然的に、その問題や課題を解決できる人に要求される能力や技能も今までとは異なったものになる。
問題や課題を抱える人は、その能力を有する人から提供される解決策を提示され、選択する。これまで解決策を提示してきた人々は、新しい能力や技能を身に着けて、時代と共に変化する新しい問題や課題に果敢に挑むか、従来の枠組みに留まるかを選択しなければならない。
解決策を考える上で、使える手段、ハード、ソフトも、また、教育が行き届いた人についても、いままでになく多くの選択肢があり、容易に手に入る。どのような組み合わせで、どのような質の解決策を提示するかは、解決策を提示する人の能力しだいだ。従来の枠組みだけで考えていては、足元をすくわれる危険が増す。
また、明らかに、問題だ、課題だと分かる事象も少なくなってきている。ただ、実際に、問題や課題が少なくなってきているというよりは、数多く存在するけれども、それを敏感に感じ取り、認識して、人に伝える能力が十分ではないということだろう。
事象を、分解して、要素にして、分析していくというプロセスよりも、次元を上げ、全体を見渡し、問題や、課題が明瞭になるモデルを構築して、様々な手段を組み合わせて、解決策を提示する、そんな能力が必要なのではないだろうか。
さて、「マーケティングのすゝめ」であるが、読んでいるとイライラしてくる。パニックのような焦りも感じる。それはどこから来るのか。
ものの見方や思考方法は、理屈ではない部分がある。ある意味、肉体的な技を修得するのに近い部分がある。だから、慣れない動作をやろうとすると上手くできずにイライラし、自分に腹が立ってくる。それと似たような現象が、「マーケティングのすゝめ」を読んでいて。追体験の過程で起こるのだろう。
子供がまだ不器用な手先でプラモデルをつくり、接着剤でべちゃべちゃな作品を見て、泣いているようなものだ。あるいは、新しいダンスを覚えようとして、思った通りに身体が動かせず、イライラするような感じだ。まだ、神経系が、その新しい枠組みに対応できていないのだ。
「マーケティング」というと改めて勉強せずとも何となく分かった気になっているのが普通だと思うが、実は新しい枠組みに対応するための手法であり、「顧客の問題を解決するための「プロセス」」である。ビジネスを前提とした、今までとは違った課題のとらえ方であり、手段を限定しない解決策の提示の試みであり、新しい経済循環の構築への挑戦である。
著者のひとりである高岡氏のネスレの事例や他の事例を読んでいると、この新しい思考方法に慣れていない、従来の枠組みで構築された私の脳は拒絶反応を示すのだ。それぐらいここに描かれている「マーケティング」というのは、私にとって新しいものということなのだろう。
この文章の最初の説明的な表現が、「マーケティングのすゝめ」の前半のコトラー氏との対談部分であるとすれば、後半部分は、私をイライラさせる高岡氏の執筆部分にあたる。理論と実践は、両輪であり、とくに、実践では、拒絶反応を乗り越え、考え方の根本を修得する必要がある。
さて、「マーケティングのすゝめ」を読んで、あなたもイライラしてみますか。